2008年9月30日火曜日

宝石のような無花果!!


今日、福岡県筑紫の中安さんから今年の新米と
宝石のような、無花果が届きました。
新米の美味しさは毎年いただいて・・・・本当に美味しい!!

先月お会いした時に、無花果の約束をし・・・・・。

こんなに綺麗な無花果は初めて見ました。
ただいま、コンポート作りです。

・・・・・。出来上がりました。
淡いピンクの上品な事。
お味も最高。

デザートの出来上がりです。
中安さ~~ん。
筑紫からの香りありがとう!!(^.^)

2008年9月27日土曜日

秋の声。

庭に出ると野分の風に身を任せ、飄々と流れ咲く。
秋の花野です。
秋明菊。女郎花。吾亦紅。槿。尾花。河原撫子・・・
鮮明な赤色は、水引草・・・・

集く虫の音も秋を奏で、月も微笑んでいます。

今日は朝から、花月のお稽古。
午前中はベテラン組み。
午後は新人さん。
新人さんも平花月でデビューです。
同じ方向を向いて学べることは、
有り難い事です。
楽しい1日でしたね。

諸江屋の生落雁。先斗町の干菓子ありがとう。
そうそう。佃煮も・・・・・

『 隈もなき折りしも人を 思ひ出でて
      心と月をやつしつるかな   』

  西行の歌を思った夜でした。

2008年9月24日水曜日

久し振りのジャズ。

久し振りに夜、Motion Blue にCool Groovin のLIVEを
聞きにいきました。
ヴァイオリン6名。ビオラ2名。ピアノ。ドラム。の10名
パワフルでアグレッシヴィなステージでした。

豊なエネルギーを味わえ・・・大満足。

2008年9月12日金曜日

御所籠(色紙点)

* 今年は、御所籠をクリアーして、茶箱点前の整理を
   しておきましょう。
茶箱の苦手な私と致しましては、
(月点前)の季節は、好きなのに重く感じていました。
きっと、気持ちが乏しかったのでしょう。

今年は、月が好きになり、御所籠大好きになりました。
進歩!!です。

ちょっと、ワクワクです。

御所籠でも広げ
『今は昔、竹取の翁といふもの有けり。』
『なよ竹のかぐや姫』

語りあいたいですね!!

2008年9月8日月曜日

白露。

昨日、銘のところで、
野分。白露。・・・
”白露に・・・風の吹きしく 秋の野は
・・・・・次は何だっけ・・・・・?”

出てこない・・・・!

お粗末でした。

”白露に 風の吹きしく秋の野は
  つらぬきとめぬ 玉ぞちりける”  でした。

こんな事の多い毎日です。

2008年9月7日日曜日

こんな生活があったなんて・・・!

最近、””茶道は初めて!””
と、おっしゃる方が訪ねて来てくださいます。
お若い方、50代。60代の方、色々です。

2~3ヶ月して、皆さんが
”こんな世界。生活があったなんてーーー。
 もっと早く知り合っていたかったーーー。””
・・・こんな生活。世界・・・とは、どのように映ったのでしょう。
一年位したら、ゆっくり伺って見たく思います。

無心に柄杓を扱っている姿勢、何が違うのか良く話を
聞こうとする目。・・・・・何よりも美しいと心から思います。

今は唯、出来る力は惜しみなく出し尽くしたく思います。

*5才のAちゃんは、お稽古に来ると先ずご挨拶。
 水屋机に向かい、きちっとお座りをして、お茶を漉し、棗に
 入れます。”今日のお菓子の銘はなーに?”と、尋ねます。
 ”桔梗です。”
 ”季節を追っていくんだね。”・・・ですって!!
 茶巾も畳めます。シャカシャカも勿論上手です。
 茶のつく名前を沢山覚えました。
 

2008年9月3日水曜日

円意棚。

『円意棚』
淡々斎好みの棚に『円意棚』という、桐の木地造り一重棚があります。
 ものごとに障らぬものは円(まど)かなる
   おのがまことの意(こころ)よりこそ
の、歌によって円意(えんい)と名づけられました。
見る場所、見方や心の持ちようで、円にも半月にも角にも
見える棚です。円かなるまことの意・・・・・。

若先生のメッセージを紹介させていただきます。

誰しも日常の様々な場面で、そんなつもりではないのにと
誤解をされたり、一生懸命やったけれども理解してもらえ
なかったり・・・。要領の良い人、悪い人がいて・・・。はたまた
見解の相違で分かち合えないことも・・・。
物事に障ることは沢山あります。
そんな時は何時も『神様は見ている』と、自分に言い聞かせ、
我が道を信じて頑張る事が、多々あります。
そして、この棚に出会ったとき、物事は様々な角度から見、
聞き、感じ取らねば本質や真実はわからないと
再確認いたしました。 片側からだけ見ていると、反対側は
善であっても悪となるからです。
円とも半月とも角とも決め付けることはできない。
茶の道を歩む人に、その善も悪も全てを超えて
どのようにでも対応できる、柔軟で自由な円なる心を
持ってもらうことが、淡々斎宗匠の願だったのでしょうか?
和を養うこの道を、ありがたくありがたく思います。

・・・何と素直な、まっすぐな、メッセージなのだろう。
年々、薄らいでいく、真直ぐな心
私の中に””渇!!””をいただきました。

有難うございました。